その186:設計ミスの橋

ここ最近、ノーベル賞が話題になっている。

ドイツは自然科学の分野で世界をリードしている一国なのではないだろうか。

そんなドイツの小さな街に建設されていた1本の橋。

数十メートルの川と線路の上に架かる予定であった。

そして順調に建設されているように見られ、「もう少しで完成!」というトコで…、「あっ、危ない!片端にある電車の線路にぶつかる!」ということに。

そう、完成間近で設計ミスに気付いたらしい…。

現在では、設計ミスの橋は無造作にもそのまま放置され、新しい橋が建てられている。

何事にもミスは付き物かもしれないが、完成間近まで建設されてから気付くとは…。「それまで誰も気付かなかったのか?」という疑問と共に、「誰が設計したのか」、「どの会社が建設していたのか」、「喪失額はいくらだったのか」…、色々と気になるところである。

その185:靴(叔母の靴)

震災後、急遽、東京を離れた3月中旬の朝。

まだ冬の寒さが残っていたことから綿付きブーツを履いていた。

そして大阪に来たものの、まだ心落ち着かず米国、ロスへ経つことに。

そこで、「綿付きブーツでは暑いだろう」ということで、滞在していた叔母が「私のお古だけど」と譲ってくださった一足の靴。

ピッタリと私の足のサイズに合い、その日から今日まで、ロスやサンホゼ、ポートランド、そしてドイツの農場…と放浪を共にしてくれた。

ただ、実は数ヶ月前から靴底がはがれてしまったりしていたのである。

そこで、各地の放浪や農場での生活から離れ、新しい都市での生活を始めるにあたり、長らくお世話になった靴とも別れることに…。

とても名残惜しいが、生きている中で、変わっていくこと、別れることは時として必然的だったりもする。その中で、新たな出会いや成長といったことが起こるから…。

靴を譲ってくださった叔母への感謝、そして何処へ行くにも常に一緒に来てくれた靴には感謝の気持ちでいっぱいである。

ありがとうございました…。

その184:酪農家での日々…

とうとう2ヶ月強お世話になった酪農家を離れる日がやってきた。

牛という生き物と向き合う中で「生と死」や「生き方」について色々と考えさせられた。

そんな酪農家での日々の光景…





その183:牛さん(アメリー)

とある日の正午、牧場をのんびり見渡していたら、突然、20頭ほどの牛が丘を駆け下りていく光景を目にした。

「な、なにごとか…。」と少し驚きながらも、「仔牛だろうな…。」と薄々気付いていた。

そう、丘の下で仔牛が誕生し、牛たちが寄ってたかって行ったのである。

そんな牛の群れに近づくと2頭の仔牛を見つけた。2頭ともに歩いたり、尻尾を振って座っていたり…元気そうである。

「お母さんは?」と周囲にいた牛の夫々のお尻には、出産する際に出てくるものが確認できなかった。

そして、その群れから数十メートル離れた先に一頭の牛が横たわっていた。よく見ると出産する際に出てくるものがお尻に確認できた。

母牛はアメリーであった。

しかし、仔牛の様子から産後数時間は経過しているであろうに、一向に立ち歩く気配が感じられなかった。

「きっと双子を出産して疲れているんだろうな…。」と素人的な考えでいた。

そこにプロの酪農家…。「まずい。」と一言。

「出産による高熱が原因で動けなくなっている。このまま動かないと体がしびれ、立ち上がることができなくなる。」とのこと。

そこで、まずは適当な薬を点滴によって注入し、体を立ち上がらせようと試みた。

が、起き上がろうとするものの、完全には立ち上がることができなかった。

次の手段として、トラクターの先端に後ろ足の付け根を持ち上げることを試みた。

何度か体を起こそうともがいた末に…、4本の足が地に立った瞬間は「やったー!」と思わず叫んでしまった。

そのままアメリーは立ち上がって、草を食べ始めた。

その時、すでに夜の8時を周り、辺りが暗くなっていることから、その日は、そのままアメリーを牧場に放置し、朝に様子をみることに。ただ、1頭では心細いだろうということから、他の牛たちも牧場で夜を過ごさせることにした。

そして、翌朝…。

1本の木の下、他の牛に囲まれて、口をもぐもぐさせている元気なアメリーを見て、今度は思わず「よかった。」とガッツポーズをとってしまった。




その182:牛社会(仔牛争奪戦)

以前に牛社会において、頭を押し合って強さ比べをする習性について紹介した。

今回は仔牛の争奪戦について。

仔牛が誕生すると、牧場では「ムー」という牛の鳴き声が響くことがよくある。

「母牛の鳴き声か?」、「仔牛の鳴き声か?」…と思いきや、大抵は周りの牛たちが鳴いているのである。

どうやら牛には生まれたての仔牛に強く反応する習性があるらしい。

鳴き出したり、駆け寄ったり、中には仔牛の世話をしようとする牛までいる。

面倒見があり、強い母牛の場合、他の牛から仔牛を守り、世話をする。

ただ、面倒見がなかったり、弱い母牛の場合、仔牛は他の牛に奪われることがある。

出産を経験していないのに、我が子の様に体を舌で舐めたり、乳を飲ませたりするのである。

そんな牛社会。

とある朝、茶色いジャージーの乳牛の横に白黒のホレインスタインの仔牛が仲良く横たわっていた。「え?えええ???ありえない…。」と一瞬戸惑ってしまった。そして、牧場を見渡すと遠くで出産を終えたばかりのホレインスタインの乳牛が暢気に尻尾を振っている姿を見かけ、「ああ、お母さん業を放棄している…。」と微笑してしまった。

写真は1頭の仔牛に数十頭の牛が寄ってたかる光景。仔牛は、生まれた直後から王子様、お姫様気分を感じるのではないだろうか…。



その181:芝の刈り入れ

牛の餌用の芝の刈り入れ。

数十ヘクタールという土地の芝を刈り入れるには数日間を要する。

芝を刈って、集めて、まとめて、運んで、備蓄して…。

数ヶ月間、適当な状態で保存させる為に、刈り入れる際の天気や備蓄方法には気をつけなければならない。

実際、品質が適当な芝は牛はよってたかって食べるが、適当でないと見向きもせずに食べないことがある。

そんなこともあり、翌日の天気が雨なら、深夜まででもトラクターの電灯を使って作業を行うこともある。

また、餌やりの際、各芝の見た目、匂い、手触り…といった五感を使って、質の状態から「この芝は仔牛に」、「この芝は雄牛に」と分けることもある。

正直、酪農家で働き始めた当初は、その違いがつかめなかったが、ここ最近、つかめるようになり、「芝マイスター」になりつつある…。

たかが芝、されど芝…。

写真は芝よりも断然トウモロコシの飼料を好んで食べている牛たち。




その180:人々(マティアス)

もう一人、牧場に時々働きに来る人を紹介。

18歳の青年マティアス。

近隣の村で生まれ育ち、今も暮らしている。

彼もまた「将来は乳牛の牧場を持ちたい」という夢を抱いている。

家族はいくらかの農地を持っているが酪農家として生計を成り立たせられる程の広さではないらしい…。

これまでに数頭の乳牛や羊を飼育していたという。

現在はトラクターの整備士を本業とする傍ら、必要に応じて牧場に働きに来る。

平日は本業を、週末は酪農家で働き、ときには深夜過ぎまで働くこともあると言うが、「いつかは酪農家に…」という夢を持ちながら働きに来るマティアスはいつも生き生きとしている。

「夢」か…。

その179:人々(ウド)

新しい仔牛用の農地を作っているウド。

幼い頃から「牧場で働きたい」という夢を抱いていたが、十分な土地を持っていなかったことから、その夢を叶えられずにいた。

その為、60歳過ぎの定年まで、機械や建物周りを組み立てたり、修繕したり…、現場の作業員として勤めていた。

そして、定年後、知り合いを通して現在の酪農家と出会い、牧場で働くことに。

今では牧場周りの各種修繕をしてくれる「何でも屋さん」。

週に1~2回といったペースではあるが、「飲料水の水の出が芳しくない」といった小さなことから「新しく出入り口用のドアを作りたい」といったことまで…、機械や土木、どんな要望にも対応できる。

そんな幼い頃の夢を今、まさに叶えているウドは、60歳を過ぎていると言えども、とてもキラキラと輝いて見える。

写真はウドが直してくれた水飲み場。

その178:仔牛用の農地作り

年齢や性別ごとに柵で仕切られている牛たち。

これまで生後数週間~数ヶ月間の仔牛には、小屋の中だけにしかスペースがなかった。多少駆け回ることができる程度のスペースではあったが、やはり外に出て、新鮮な草を食べられるのが理想的…。

ということで、仔牛小屋の真横に新たな農地を作ることに。

まずは柵作り。

穴を掘って、木の支柱を立てコンクリートを流し込み固定させる。そこに木の板を釘で打ち付けて…。

定年を迎え、週に数回、趣味程度で働きに来るウドが一人で黙々と作業をしている。

仔牛たちが元気に駆け回っている姿を想像するとワクワクしてくる。


その177:牧場の風景(牛と夕暮れ)

夕暮れ時。

一頭の牛が他の牛よりも少し遅れて小屋までの道を歩いていた。

歩いていた…と言っても、まっしぐらに小屋まで歩いていたのではなく、1歩、2歩…歩いては止まり草を食べ、また1歩、2歩…歩いては止まり草を食べ…、という具合である。

そんなマイペースな牛を背景に、刻々と夕焼け空は赤みを増し、そして次第に暗闇がかっていき…、夜が近づいていた。

遠くには風力発電用の風車がユックリと回転しているのが見えた。

「近い将来、日本の故郷でもこんな光景が見れるようになると良いのになぁ…。クルクルと自然の循環を利用した有機農業、そして風力発電…。そこに一日の終わりを告げる夕焼け空が包み込む…。」

原発事故が一日でも早く収まりますように…。
被害が最小限に食い止められますように…。
そして、同じ過ちを犯さないよう、発電方法を含め新たな道を一つの国として選び、歩まれますように…。

…と人事じゃないはずなのに、思わず人事のように願ってしまった瞬間であった。

「時間の速さを変えることはできないかもしれないけど、その瞬間に与えられたものを堪能する時間は実は夫々にゆだねられているんだなぁー」とも感じた。

そんな9月下旬の夕暮れ時でありました…。


その176:牧場の風景(夕方)

朝とは一変した夕方の風景。

太陽が沈む瞬間。

太陽が沈んでからの数十分間。

闇が東側の刈り入れしたばかりの畑を包もうとしている。

空や大地の色の変化だけではなく、頬に当たる風が一気に冷たさを増したり、日中には気付かなかった鳥の鳴き声が耳に入ってくる。

また、牛たちも一頭、また一頭と小屋へ帰ってくる。

その姿は、まるで遊びつかれた人間の子供の様で、何とも愛らしい。



その175:牧場の風景(朝)

長らく滞在している牧場を離れる日が近づいてきている。

そこで、もうすこし牧場の風景を写真におさめて共有できたらな…と思う。

できることなら、この空気や大地も共有できたら…とも思うのだが。

ということで、まずは朝の風景。

朝日が輝かしい東側の牧場。

闇が薄らぎ霧に晴れていく西側の牧場。


その174:人々(マッチー)

隣人、マッチー。

現在30歳のドイツ人。近くの村で生まれ育ち、今も家族は近くに住み、職場もそう遠くない場所である。

ちなみに、職業は冷凍食品の個人向け宅配人。上司には不満は無いが、「長い労働時間とそれに見合わない安月給」ということで「できれば転職したい」と言っている。

「どんな職につきたいの?」と尋ねると「今度は室内でパソコンを使った仕事をしたい」と答える。

「一生、室内でパソコンの前で働いていたいの?」と尋ねると「5~6年務めたら、また他の仕事をする」と答える。

日本の終身雇用という概念を持つと、「いかにも無計画、楽観的な考え」とも捉えられるのかもしれないが、「もしそんな生活が可能ならば、それで良いのではないだろうか」とも感じられる。

ちなみに、「ヒッピーに興味がある」ということで、よく家からヒッピー向けの曲が聞こえてくる。ときどきヒッピーが集まるダンスパーティーにも出掛ける。

また、「ガーデニングが好き」ということで、週末には庭仕事をしている姿を良く見かける。「トマトはハエ除けに良いから」と育てたらしいが、美味しそうな赤い実がなっても、本人は「トマトアレルギーだから」と言って食べない。そんな計画性があるのか、ないのかよく分からない姿を見て、思わずプッと笑ってしまった。

眉間にしわを寄せ、硬くなりがちな私の表情や頭を柔らかくほぐしてくれる。

そんなマッチーは、今から来年の春、夏に向けて庭の準備をしている。…やっぱり、計画性があるのだろうか!?


その173:仔牛の皮膚病

ここ数ヶ月間、仔牛の間で皮膚の感染病が流行っている。

特に命や健康に害は無いようだが、顔や体に斑点模様が現れる。

あまり見た目がよろしくない。そして、きっと悪化すると何かしら健康に害が及ぼされるのであろう…。

そこで、仔牛たちには適当な薬を注射器で投与して治療している。

また、この感染症、やっかいなことに、感染している仔牛に触れることによって、人にも感染するのである。

そして、とうとう…、私も感染してしまいましたぁぁぁ!!!

写真は耳の後ろにできた赤い斑点。きっと、うっかり者の私は、仔牛を触った手でそのまま耳の後ろを掻いたりでもしたのでしょう…。

感染後、数日間は多少のかゆみを伴い、その後は、痛くもかゆくも無いが、放置していると赤い斑点は広がっていく。

ちなみに、人の場合は、適当な薬を注射器で…ではなく、適当な塗り薬を塗って治すことができる。

今回の耳の斑点は、薬を塗ってから数日後には斑点の大部分がおさまりましたぁー。

一安心。

…と言っても、実は右腕には、耳にできたものよりも大きい斑点ができ、まだ痕が残っているのですが…。

その172:映画LE HAVRE

金曜日の夜♪=Friday Night♪

…ということで、車で1時間半ほどの都心へ出掛けた。

目的は最近劇場での公開が始まった映画を観るため。

LE HAVREというAki Kaurismäki監督による映画。

アフリカから逃げてきた少年を母親の居るイギリスへ渡らせるというストーリー。

コンピューター処理や3D化された映画が増えている今日、素朴さを感じる生の俳優の演技や舞台セットが目に優しかった。

元はフランス語で録画され、ドイツ語に吹き替えられていたが、フランス語やドイツ語を完璧に理解できなくても、映像からだけでも大まかなストーリーがつかめ、楽しむには十分であった。

この映画は、日本では上映されるのだろうか…。

その171:ドイツのレストランでランチ♪

久しぶりに外食をした。いや、ドイツでは(カフェやバーを除くと)初めての外食だったのかもしれない…。

ビザの手続きのため、市街地へ出掛け、その手続きも一段落した…ということで。

その日は、ドイツに来てかれこれ丁度90日目という記念すべき日でもあった。

入ったのは、一般的なドイツのレストラン。

メニューはドイツやその周辺の伝統料理。ランチはセットで6~8ユーロとお手軽価格。

実際の料理もドリンクとサラダに続いて、大きな肉の切り身に豪快な量のフライドポテトが付いて出てきた。

そのボリュームにも、味にも…満足◎

また、一度、出来立てのメインディッシュを出してくれたが、連れが席を外していた為、わざわざ「また後で温かいものをお出しします」と言って、一度、料理をさげ、連れが戻ってきたタイミングと共に、再び温かい料理を出してくれた。

そんなウェイターの小さな気遣いにも…満足◎

久しぶりの外食、そして初めてのドイツの外食ランチに心も体もHappyに☆

ちなみに、人によっては「ドイツに行くなら食べ物は期待しない方が良い」と言う人もいるらしい。ただ、この3ヶ月間、口に出来ない位の味の食べ物には出くわしていない。

果たして今日のドイツの食べ物は日本人全般の口に合うのか?それとも、単に私が運が良かったのか?偶然だったのか?私自身の味覚の問題か?


その170:近所の家々

近所の酪農家を訪問したついでに…

近所の家々の様子も少しばかしですが写真に収めてみました。

石造りの家は、見ていて心落ち着くのは何故でしょうか…。


その169:近所の酪農家

歩いて5分ほどの距離にある近所の酪農家。

オーガニックではないが、小屋の中で一生を過ごさせるのではなく、牧場の草原を歩き回ったり、食べたり…のびのびと牛が飼育されている印象を受けた。

そこに白く丸い物体の発見!

「な、なんだ???UFO???」

と思いきや、仔牛用の半屋外の小屋でした。

各小屋には約5頭ほどの仔牛が日陰や日向…好きな場所で尻尾を振らせていました。

また、ここ最近、建てたばかりという巨大な倉庫も見させてもらいました。牧草がゆうに8段程も積み上げられる高さ。使い勝手が良さそうです。

ただ、石や木、土を屈指して建てられた昔ながらの牧場の小屋の素朴さはなく、なんとなく寂しく感じてしまったのは、何故でしょう…。



その168:ケバブ

ドイツでは、ファーストフード店と言えば、マクドナルドやバーガーキングといったハンバーガー屋さんよりもケバブ屋さんの方が多く見掛ける気がする。

トルコの食べ物として知られるケバブ。

ただ、トルコ人に聞くと「いや、トルコでは食べない」と言っていた。

…今やケバブは、トルコ国外で、トルコ代表として一人歩きしている様である。

その167:30歳の誕生日

酪農家の友人が30歳の誕生日を迎えるということで、その誕生日パーティーへ行くことに…。

ドイツでは30歳、40歳といった節目に大きな誕生日パーティーをすることが多いらしい。

この日は、パーティー会場を貸しきって、ビールと音楽と共に盛大に祝われた。

以下の写真は30歳を迎えた友人。職業はバーテンダーであり、この日も主役でありながら、みんなにビールを注いでいた。

その166:プール

週末に子ども達と一緒に近くのプールへ行くことに…。

色々な種類のプールやスライダーがあった。

なかでも宙返りするスライダーは見ものであった。高さ30mほどのところから急降下し速度をあげ、一回転させるのである。

宙返りジェットコースターの滑り台バージョンである。

私は…、人々が回る様を見ているだけだった。


その165:ながーい散歩

とある午後、早めに仕事を終え、ひとり湖周辺にあるハイキングコースを散歩することに。

ハイキングコースと行っても、「山」というよりも「丘」、そして一旦歩き始めると「森」いった感じのコースであった。

グリム童話の挿絵に出てくるような森である。ゆうに白雪姫と七人の小人が住む家や赤ずきんちゃんの家が創造できる。

…っと予定していたコースを歩いていたつもりが、どうも入り口からハイキングコースではなく、木々を伐採する車が通る道へ入ってしまったようです。人によってはこれを「道に迷った」と言うのでしょう。

ただ、周りには綺麗な花が咲いているし、整備された道はなくても森は歩ける状態ではあるし…、そのまま散歩を楽しむことに。最終的にこれまでに行ったことのない街に出た。青々とした芝の農場が広がっていたり、古い建物が並んでいたり…、予定していた場所ではなかったが、思わぬ副産物となった。

そこからは、3キロ程の車道を歩き、数時間の散歩のつもりで出掛けたが最終的に6時間ほどしてから帰宅した。手には道でみつけた野生の花やハーブを握って…。

きっと人生もこんな感じなのだろう。「目的地までの道のりは無限にある」と。予定していた道とは違う道を歩むことになっても、予定よりも時間がかかっても、歩き続ける限り、目的地には一歩一歩近づいているのである。そして、どのみち目的地まで歩かなくちゃならないなら、その一歩一歩を楽しみたいものである。また、一人よりも誰かと一緒に歩いたほうが面白かったり、安心できたりもする。

…っと、一人明確な目的がみえないながらも放浪する自分に対して言ってみました。





その164:ドイツの街(Sundern)

近くの街、Sundernへ出掛けた。

厳密にはビザ申請のための証明写真を撮りに行ったのだ。

観光目的ではないが、レンガ造りの建物や道が立ち並ぶ街に思わずカメラを向けてしまった。