その011:真理を追究する宗教

日曜日。正しい数字は分からないが、日本人よりは米国人の方が教会へ出向く割合が多いであろう。

私の友人もかよっているらしいが、どうやらキリスト教の教会ではないらしい。

友人いわく、彼女が信仰しているのは宗教ではないらしい。

「どの宗教を突き詰めても到達する真理を追求」しているらしく、100年程前にインドから教祖がきたとのこと。

そこで、実際に集会へ行ってみた。

200年程前に建てられた建物を利用しており、メキシコを思い出させる雰囲気があった。よくあるキリスト教の教会のような配置。壇上の前に長いベンチが並べられていた。ただ、壇上の装飾には、8つの宗教のシンボルが飾られていた。例えば、キリスト教なら十字架、陰陽のシンボルも飾られていた。

集会は全部で1時間半。まず壇上の端で何とギターやピアノ、ドラムの生演奏にのって歌を歌って始まった。その後、教祖の様な人が壇上の中央にあがり、新しい訪問者の紹介や行事のお知らせをした。そして、お祈りの様な(?)時間となった。お経の様な言葉をバンドの演奏に合わせて唱えてから、10分程の沈黙…、それから30分程、教祖による教えの様なことが始まった。最後は、全員が立ち上がり、手をつなぎ歌を歌って終わった。

「一体、これは何の宗教なんだ?」と疑問を抱きつつも、集会中の10分間の沈黙は、心安らぐひと時だった。

「人が集まって、みんなで祈る」ということに何かパワーの様なものを感じた。

人は、やはり1人では生きれないのか。集うことのパワーを改めて感じたと共に、そもそも「宗教」とは何なのか?私は一体何を信じているのか?という問いが生まれてきた。

集会場所の様子↓