その005:到着後、数日…

米国に到着後、睡眠時間や食欲は芳しくなかった。

到着した夜は深夜過ぎに寝て、起きたのは翌日の夕方。その日は深夜過ぎにベッドに入ったものの、寝付けず、明け方に寝て起きたのは午後3時。その翌日も同様だった。食欲もあまりわかずに、起きてからの夕食を食べるだけだった。

旅の疲れからか、時差ぼけか、もしくは恐怖や不安といったストレスからか…。

こっちに来てからも、ネットで日本のニュースを見ては、恐怖心を感じていた。日本の現状や、これからの自分自身に対して不安がいっぱいだった。また、その不安に対処するためにも、これから自分が何をすべきなのか道が見えずに焦りも感じていた。

正直、ここまで常に心が締め付けられる心境になったのは初めてだったと思う。

ただ、知人と話しているときは、いくらか心の緊張が和らいだ。

私の知人は、今日では60歳を過ぎているが、高校の頃、親の仕事の都合で1年間、日本に住んだことがある。当時、彼女の家に私の母が出入りしていたことがあり、知り合いとなったのである。

当時の様子を彼女はとても興味深く話してくれた。日本にきておどろいたこと、高校生活、家族、帰国後の様子、そして、数年前に日本に再訪したことなど…。

1970年代、東京・中野の住宅地で、洗濯物が竹竿に干されていたことにびっくりしたらしい。また、アイスクリームを歩きながら食べる事はタブーだったらしく、叱られたのを覚えていた。通っていたASIJはとても楽しかったと話していた。

また、彼女の家族は日本好きな人が多いらしく、お祖父さんは、第2次世界大戦前から日本に住み、エンジニアとして、今のトヨタや日立といった大企業に大きく貢献した方らしい。そのお祖母さんは、天皇家で英語を指導された経験もあるとか…。おじさんは何と外人として初めて東大を卒業し、日本文学専攻ということもあり、日米の通訳者として活躍されたとうかがった。

そして、お祖母さんが英語で書かれた日本についての本や贈り物としてもらったという1940年に出版された「日英ことわざ辞典」を見せてくださった。ちなみに、その辞典に掲載されていた100フレーズ程のことわざの内、私が見聞したがあるのは5フレーズくらいしかなかった。現代人の言語力の衰えの表れか、私の日本語力の乏しさの現れか…。

なんだか米国で母国・日本について改めて学んでいる気になった。