その003:出発!!

初めて国内線で成田に着いた。

何度も来たことがある成田であったが、一体、自分がどのターミナルにいるのか、どこへ行くべきなのか分からなかった。

ひとまず放射線防止の衣装に着替えることに…。

「放射線防止の衣装」!?

叔母さんが提供してくださった不要な洋服の上に、透明の雨具で肌の露出する箇所を最小限にした。髪の毛は1つに束ね、前髪は分け、防止を被った。マスクは水で湿らせたマスクの上に、2重のマスクをした。そして、唯一持っていたリュックにも透明のビニール袋をかけた。

きっと10日前にこの格好で空港にいたら、間違いなく警官に呼び止められただろう。

しかし、その日は違った。

私のことを気に留めて見る人もいたが、「変質者扱い」ではなかった。「おぉ、すごい。あそこまで守っているとは。」つまり、多くの人がその理由を知っていた。現に、私の様な格好をしている人は、他にも数名いた。(正直、もっと多くいると思っていたが…)

さて、よく来たことがあった成田空港であったが、初めて空港で寝ている人を見た。1人、2人ではなく、廊下の壁際に沿って何人も寝ていた。容姿からして大半が中国人だったと思う。自国への飛行機の空きを待っているらしい。

出発まで5時間程あった。しかし、母との電話や、職場への電話と手紙を書いていたら、あっという間に過ぎてしまった。

「これで良いのかなぁ」と、電話口で母には、空港に来てまでまだ迷っている本音をこぼした。そんな私に対して、母や胸に響く言葉で背中を押してくれた。「人生には切らないといけない選択肢がある」と。「進んだ先で修正を効かせれば良い」と。また、「恩は、必ずしも尽くして下さった相手に対して直接的ではなく、社会に対して行うことで間接的にも返せる」とも。

職場への手紙は、昨夜のうちに書いておこうと思っていたが、何から書くべきか…、何を書くべきか…、迷いに迷っていた。しかし、出発時刻3時間前。空港の郵便局前で立ちながら、持ち合わせていた紙とペンでつづった。事前に用意していた便箋類は忘れずに持ってきたが、筆ペンを忘れてしまい、失礼にあたるが仕方なくボールペンで書くことにした。

今回の一騒動で誰よりも迷惑を掛けているのは、職場の方々、そして子どもたちであった。そんな中、毎回の電話に優しい声で受け答えて下さった職場の方々…。そんな人々の心の温かさに涙がとまらなかった。

それにしても、「まさか、辞表届たるものを空港で書くとは…」、私の人生は実に波乱万丈に満ちている、と改めて感じた。

国際線ながら、出発時刻1時間半前にして搭乗手続きの窓口へ走った。そして、出国手続きへ…。



↑空港に飾られていたポスター。EMERSON航空では、機内食の廃棄物を使って電力を発電しているらしい。すばらしい!!!この世界、未来に対して希望を失いかけていた私だったが、少し希望がわいてきた。

飛行機に乗る直前になって友人からのメール、「今、みんなで京都にいるんだけど来れる?」…。…。…。「今朝まで大阪にいたんだけど~(>_<)」。このメールを昨日もらっていたら、もしかしたら私は全く違う選択肢を選んでいたのかもしれない…。

ただ、もうここまで来たら、私は前を向いていた。

まずは、米国へ…